内向型人間は勘違いされやすい


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私は完全に内向的です。うちの娘は外向的と内向的要素をどちらも持ち合わ持っています。私の母も父も兄弟も、家族全員が外向的であると言う環境で育ちました。彼らは私の気質が理解できなかったようですし、私も理解されず悲しかったのを覚えています。

マティーニ O  レイニー著「内向型を強みにする」の中に

「世界の75%は外向型でできている。内向型は陸に打ち上げられた魚のようなもの。

内向型は自分の内側の世界からエネルギーを得ているのに対し、外向型の人は外の世界との繋がりからエネルギーを得ている。例えるなら内向型は充電式のバッテリーに似ている。一方外向型はソーラパネルに似ている。太陽電池板は充電のために太陽を必要とする。つまり外に出て人と関わる必要がある。内向型も外向型も生来の気質であり、変えることはできない。

外向型人間は、多数派なので内向型人間に対する見方を左右する。外向型が気軽なおしゃべりをするのに対し、内向型は話すための話しはせず、自分の考えを口にする。

また内向型人間は、自分の行動を表に出さないために謎めいて見える。そのような行動が外向型人間を不安にさせ、時にはイライラさせたりする。」と説明されています。

これを読んでいると、なぜ私が家族から理解されなかったのかわかる気がします。私は自分を偽って外向的なふりをしたこともあります。しかしその時私が感じたのは、北極クマがサバンナに暮らしているような感覚でした。もともとサバンナに生息しているシマウマやゾウ、キリンなどの草食動物はライオンなど肉食動物と共存できています。しかし北極クマは肉食動物で本来は強いはずなのに、そこは暑すぎて活動なんてしていられません。そのくらい違和感がありました。この本の中に陸に上がった魚と表現されていましたが、本当にうまく言ったものだと思います。

この本を読んで、ある職場の外向型の男性のお話を思い出しました。彼の奥様はとても内向的で、子どもの学校の行事などがあると翌日は寝込むそうなのです。そのためその男性が奥様の代わりに行事に出ることもあるとか。「昔はそういうところがかわいいと思っていたが、実際に子どもを育てていたらそんなこと言っていられないこともある。だからイライラする。」と。

私は奥様の気持ちが痛いほどよくわかります。ただ子どもがいたら、そんなことは言っていられないことも事実です。

私も子どもの学校の行事などがあると、とても疲れます。コロナ禍で何が良かったかと言えば行事がなかったことです。コロナ禍が終わった今も、引き続き参観日などには行っていません。娘はもう大きいので「ママ!また来ないんでしょ。まあいいけどさあ。」とあきれられています。私は「ごめんなさい。」とひたすら謝って、他で埋め合わせを行っています。彼女は母の性質をよく理解してくれているので、有難いことです。