死生学の第一人者のアルフォンス・デーケンは大切な人との死別によるショックを受けてから、立ちなおるまでを12段階のプロセスに分類しています。
1.精神的打撃と麻痺
2. 否認
3.パニック
4.怒りと不当惑
5.敵意と恨み
6.罪意識
7. 幻想形成と幻想
8.孤独感とうつ
9.精神的混乱とアパシー
10.あきらめ・受容
11.新しい希望
12.立ち直りの段階
「悲嘆を体験する人がこれら全ての段階を通るわけではない。またこの段階通りに進むわけではなく、複数の段階が重なって現れたり、行きつ戻りつしながら徐々に回復していく。立ち直るまで数年かかることもよく見られる。受容とは悲しみを乗り越えることではなく、悲しみをともに抱え、自分の人生を歩み進めていくこと。」と言われています。
優未から優三のことを話してほしいとお願いされたとき、寅子は胸が詰まって話すことができませんでした。この時昭和27年です。寅子は雄三の戦死を知ったのは終戦から一年たった頃です。すでに6年経っています。
家族が病気などで余命宣告を受けた場合、予期悲嘆のプロセスをたどります。余命が尽きようとしている家族に対して、お別れの言葉を伝えたり、やり残していたことを済ませていきます。この体験によって、家族の余命がついに尽きたときの衝撃や悲嘆を軽くし、立ち直りを早くすることがあります。
寅子に限らず花江も同じく、戦死や事故死など突然の死の場合、予期悲嘆の期間はありません。その分衝撃は大きくなります。
彼女は優三が亡くなったと知った後、必死で仕事を行ってきました。優未を育てなければならないこと、仕事に打ち込むことで、優三がいなくなった現実から目をそらし、自分の悲しみに蓋をして生きてきたのでしょう。それは2.拒否の段階に長くいたと考えられます。突然死の場合はこの過程が顕著に表れると言われています。
また、交通事故など危機的状況に陥った時の記憶を全く思い出せない人も多くいます。このように、記憶に蓋をすることは人が生きていく上で一つの戦略です。
しかし優未が優三のことを知りたがったことで、自分が優さんの死を受け止めていなかったことに気が付くことができました。自分の感情に気が付き、向き合うことはとてもつらいことです。
優未からすれば、今まで花江たちと過ごしていたことで、父親のことを考えずに過ごすことができていました。花江の子どもたちも父親がいないという同じ境遇だったため、そのことを当然のことと受け止めることができていたのでしょう。
7/19の放送では、寅子は優未に優三のことを語りました。「お父さんはすぐ 『ごめんなさい』する人だった。言いたいことは全部押し殺 して人に合わせて謝っちゃう。でも随分たっ てからぽろっと本音をこぼして『えっそれ今 言う?』ってなるの。そういう不器用でやさしい ところも優未は似ちゃったのかもね」と話し、緊張するとお腹の調子が悪 くなる優未に「こうやって」と変顔を披露 し、克服法を伝授しました。このように見ると、本当に優未は優三に似ています。寅子はやっと優三のことを語ることが出来ました。故人の思い出を語ることは悲嘆のプロセスを進める上でとても大切なことです。
花江たちの元を離れて二人で暮らすようになったことで、さまざまな葛藤が起こりましたが、前向きな変化をもたらし、親子で成長できたすばらしい一週間でし