自尊心が下がったわけ


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私は1人でいるのが好きです。うちの娘との相性はわりと良いので、助かっています。

父はとても外向的で、場を盛り上げるのがとても上手な人です。父が宴会や集まりにいると、とても盛り上がるため大変重宝されていました。それでいろいろなところからお呼びがかかります。

子どもの頃は父の集まりに同行していましたし、うちにお客さんが来ることもありました。

父は関西人なので、身内を落として笑いを取るような手法を使います。関西圏の方は吉本新喜劇の笑いに慣れているかもしれません。しかし私は関西出身ではありませんし、吉本新喜劇を見たこともありませんでした。

父は笑いのネタに身内を使うので、私は格好のネタでした。容姿のことをはじめ、あらゆることがネタとして使われます。兄弟の比較などもネタとして多かったです。

父は友達も多いですし、会社の先輩や部下、親戚関係にとても慕われていました。私は父が家族ではなく、ただの親戚のおじさんなら良かったといつも思っていました。他人であれば確かに面白いのです。

しかし毎回ネタにされる立場は、たまったものではありません。それでなくても内向的性格でその場に好きでいるわけではないのです。

父は、私のそんな気持ちに気がつくだけの感性は持ち合わせていません。逆に場を盛り上げている自分は、とても良いことをしていると思っています。

私は集まりの度に、存在を消してネタにされないようにしていました。それが叶うわけもなく結局ネタにされていました。

その後、ある程度大きくなったら、そのような集まりについていくことはなくなりました。

大人になった今、職場の歓送迎会など、どうしても出席しなければならない時があります。そんな時は寝込むほど疲れます。私が宴会などが嫌いなったのは、子どもの頃の体験が大きいのではないかと思っています。

父は私のこのような思いを知りません。子どもの頃嫌だったと伝えたことはありませんし、言ったとしても伝わらないでしょう。

父が私のこのような気持ちに気がつけるような感性を持ち合わせていれば、もう少し変わった結果になっていたと思います。

確かに社交性があって、場を盛り上げる能力は素晴らしいことです。そのようなことに苦痛に感じること事態「わがままで過敏すぎる。なんで出来ないんだ。」と叱られたことさえがありました。私はどうにかして自分を、変えようとしてきましたが、本来の自分とかけ離れるばかりで、悲しみが募っていきました。

父は私を矯正しようとしてきましたが、結局残ったのは、劣等感、自尊心の低下、悲しみ、寂しさなどです。

親子関係は難しいものです。父だって良かれと思ってやってきたと思います。

この記事を読んでいる方は、子どもの個性を見てあげていただきたいといつも思っています。昔苦しんだ人は、あなただけではないと思ってもらえたら嬉しいです。このブログの意義はここにあるのではないかと思っています。