虎と翼 新潟編 悲嘆と成長


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死生学の第一人者のアルフォンス・デーケンは大切な人との死別によるショックを受けてから、立ちなおるまでを12段階のプロセスに分類しています。

1.精神的打撃と麻痺

2. 否認

3.パニック

4.怒りと不当惑

5.敵意と恨み

6.罪意識

7. 幻想形成と幻想

8.孤独感とうつ

9.精神的混乱とアパシー

10.あきらめ・受容

11.新しい希望

12.立ち直りの段階

「悲嘆を体験する人がこれら全ての段階を通るわけではない。またこの段階通りに進むわけではなく、複数の段階が重なって現れたり、行きつ戻りつしながら徐々に回復していく。立ち直るまで数年かかることもよく見られる。受容とは悲しみを乗り越えることではなく、悲しみをともに抱え、自分の人生を歩み進めていくこと。」と言われています。

優未から優三のことを話してほしいとお願いされたとき、寅子は胸が詰まって話すことができませんでした。この時昭和27年です。寅子は雄三の戦死を知ったのは終戦から一年たった頃です。すでに6年経っています。

家族が病気などで余命宣告を受けた場合、予期悲嘆のプロセスをたどります。余命が尽きようとしている家族に対して、お別れの言葉を伝えたり、やり残していたことを済ませていきます。この体験によって、家族の余命がついに尽きたときの衝撃や悲嘆を軽くし、立ち直りを早くすることがあります。

寅子に限らず花江も同じく、戦死や事故死など突然の死の場合、予期悲嘆の期間はありません。その分衝撃は大きくなります。

彼女は優三が亡くなったと知った後、必死で仕事を行ってきました。優未を育てなければならないこと、仕事に打ち込むことで、優三がいなくなった現実から目をそらし、自分の悲しみに蓋をして生きてきたのでしょう。それは2.拒否の段階に長くいたと考えられます。突然死の場合はこの過程が顕著に表れると言われています。

また、交通事故など危機的状況に陥った時の記憶を全く思い出せない人も多くいます。このように、記憶に蓋をすることは人が生きていく上で一つの戦略です。

しかし優未が優三のことを知りたがったことで、自分が優さんの死を受け止めていなかったことに気が付くことができました。自分の感情に気が付き、向き合うことはとてもつらいことです。

優未からすれば、今まで花江たちと過ごしていたことで、父親のことを考えずに過ごすことができていました。花江の子どもたちも父親がいないという同じ境遇だったため、そのことを当然のことと受け止めることができていたのでしょう。

7/19の放送では、寅子は優未に優三のことを語りました。「お父さんはすぐ 『ごめんなさい』する人だった。言いたいことは全部押し殺 して人に合わせて謝っちゃう。でも随分たっ てからぽろっと本音をこぼして『えっそれ今 言う?』ってなるの。そういう不器用でやさしい ところも優未は似ちゃったのかもね」と話し、緊張するとお腹の調子が悪 くなる優未に「こうやって」と変顔を披露 し、克服法を伝授しました。このように見ると、本当に優未は優三に似ています。寅子はやっと優三のことを語ることが出来ました。故人の思い出を語ることは悲嘆のプロセスを進める上でとても大切なことです。

花江たちの元を離れて二人で暮らすようになったことで、さまざまな葛藤が起こりましたが、前向きな変化をもたらし、親子で成長できたすばらしい一週間でし

虎に翼 新潟編 親子の欠点継承


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虎に翼の新潟編が始まりました。先週、寅子は優未に「良い子でいるように呪いをかけてごめんなさい。いいお母さんになるので新潟に一緒に来てください。」と謝罪しました。1人の人間としてだけではなく、親が子どもに謝罪することはとても意味のあることでした。なぜなら毒親は自分の過ちを素直に認め、子どもに謝罪することはしないからです。寅子が謝罪できたことで優未は「親も完璧ではない普通の人間である。」ことを学ぶことが出来ました。

新潟に来て、寅子は優未との距離が縮まらないことに葛藤しています。しかし優未に花江のように上手に家事が出来ないなど、完璧でない部分を見せています。エリートな親こそ、子どもに普通の部分や苦手な部分を見せることはとても意味があります。大人でも全て完璧な人がそばにいると息が詰まる感じがしませんか?

さらに優未がお母さんに代わって進んでお料理をしていました。お母さんから頼まれなくても自ら行っていた点に、優未の成長を感じます。寅子は優未に助けられていますし、優未は寅子を助けることで自己肯定感を高めて行けるでしょう。

そして、また優未はテストの点数を改ざんしようとしました。今度は寅子に見られてしまいましたが「テストになるとお腹が痛くなる。」と理由を打ち明けることが出来ています。その事からまだ溝はあるものの、親子の関係性が良い方向に向かっているのが分かります。

テストになるとお腹が痛くなる。それが優三と同じであると寅子は優未に伝えました。行動遺伝学の安藤寿康先生によれば、遺伝的に性格が似る確率は50%だそうです。

優未が赤ちゃんの時に出征した優三のことを優未は覚えていないでしょう。だからこそ

テストになるとお腹が痛くなることが、父親譲りだった点に大きな意味があります。優未にとって確かに父の子どもである証を手に入れたような気がしたのではないでしょうか。

このエピソードからうちの娘とのやり取りを思い出しました。娘が学校で急に当てられた時に「頭が真っ白になってうまく答えられなかった。みんな冷静にうまく答えられるのに、全然出来なくて、落ち込む。」と言う内容でした。私も昔そうでした。当てられると頭が真っ白になって、全部忘れてしまうのです。

私は娘に「えー?何でそんなとこ似るの?苦手なところ似なくていいじゃない。私のまねしなくていいよー。」と言いました。娘からは「似たくて似たんじゃない。そんなのいらないよ!」と返事がありました。しかしなんだかとってもうれしそうだったのです。私はなぜ娘がうれしそうにしていたのかとても不思議でした。その意味が少し分かった気がしました。

欠点が遺伝的に親子であることを証明している。身長や体質と同じで、変えようもない真実であり、悩んでも仕方ないと娘は思ったのかもしれません。

 

ヒヤリハットの重要性を考える


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私は看護師です。以前いた職場のヒヤリハットについて最近ふと思い出しました。当時の職場は優しくて穏やかなスタッフか揃っていてとても居心地の良いところでした。もう時効なので、その時起きたヒヤリハットを振り返ってみたいと思います。内容は一部改変しています。

一件の重大な事故の背後にはおよそ29件の軽微な事故があり、さらにその背景には300件の無傷であるヒヤリハットが存在すると言われています。これをハインリッヒの法則と言います。それは本当に小さなヒヤリハットでした。不慣れな点滴の取り扱いに関連するものです。

このヒヤリハットを振り返ることは重大な事故を防ぐために、大変意味のあることです。この記事を読んだ方が、自分の職場を振り返るきっかけになればと思います。


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リスク管理の考え方にスイスチーズモデルがあります。スイスチーズには大小さまざまな穴が開いています。このチーズをスライスして並べた場合、一つの穴をすり抜けても次のチーズの壁に当たればエラーは防げます。しかし次のチーズの穴をすりぬけてしまい、最後まで壁に当たらずに穴を通り抜けていった場合にエラーが発生すると考えます。この穴の数が多く、大きいほどすり抜けやすくなります。このようにエラーは一つの要因で発生するのではなく、複数の要因が関連して発生すると考えられます。

この事例にもたくさんの穴がありました。

通常点滴がオーダーされる際は医師が速度を指示します。しかし医師も忙しく、全てオーダーが完璧にされていることはありません。危険な薬剤であれば薬剤部でチェックされますが、危険薬剤でない場合は、チェックはかかりません。

そして前提として、点滴などの薬剤の取り扱いについて、患者への実施者である看護師はその薬剤に精通しているもの、また不慣れであった場合は薬剤情報を確認し、取り扱いの注意事項を分かった上で、取り扱っているものということがあります。

そのため、医師は看護師を信頼し、任せていることがあります。それが点滴の速度指示を入れずにオーダーをすることにつながります。

この件は本来の点滴速度より少し速く実施したというヒヤリハットです。危険薬剤ではありませんし、たった一回だけわずかに速度が速かったからと言って有害事象が起こるようなことはありません。その上でヒヤリハットを振り返ってみます。

今回の事例でのチーズの穴を挙げてみます。

・医師が速度指示を記載していなかった。

・その日の担当者は2年目だった。

・2年目看護師から医師へ問い合わせした際に、いつもの投与時間でよいとあいまいな返答だった。

・医師は看護師全員が当該薬剤の取り扱いを知っていると考えていた。

・しかし、この病棟では当該薬剤の取り扱いは年に数例しかなかった。

・担当の2年目は近くにいた3年目の先輩に相談したが、医師が任せると返答していたので、いつも使用する点滴の投与速度で実施していいと答えていた。

・ちょうど日勤から夜勤へ勤務変更する時間帯で、夜勤担当者へ「今実施している点滴速度を持続してほしい。」と説明していた。

この時点で少なくとも7つの穴がありました。

そしてこの時、私がもやもやしたことが起きました。私はその日、違う業務を担当していました。たまたまこの病棟では見慣れない点滴がオーダーされていて、点滴の投与速度が当該薬剤にしては少し速いことを知りました。本当にたまたま見つけたという感じです。

そのため担当の2年目に通常の実施速度を伝え、速度を遅くするようにアドバイスしました。2年目の担当者は「わかりました。変更します。」と返答したため、私はその日の本来の業務に戻りました。その時間はちょうど日勤から夜勤への勤務変更の時間でした。しかし実際には投与速度は変更されていなかったことが翌日判明しました。

ここで投与速度が変更されていたら、エラーは防止できたことになります。

しかし変更されませんでした。

ここでさらにチーズの穴を挙げてみます。

・2年目の日勤担当者は夜勤者に速度変更を依頼したと話しているが、夜勤担当は聞いていないと話していてコミュニケーションエラーが起きている。(多分日勤担当が言おうとして失念していると考えられる。)

・本来、2年目は夜勤者へ速度変更を依頼するのではなく、自分で変更するべきであった。

・夜勤担当は以前の部署で当該薬剤を取り扱うことはよくあった。そのため、点滴速度が少し速くおかしいと思ったらしいが、異動後間もなかったため確認する勇気がなかった。夜勤担当曰く「日勤者と話したのは当初の速度の指示のみで、変更は聞いていない。」と話している。(夜勤担当は、はじめの速度に違和感を感じているため、変更を聞いていれば点滴速度を変更したと考えられる。)

ここで穴は3つありました。

さらに穴はまだあります。

私は不慣れな薬剤を取り扱う際は必ず、薬剤情報を確認したうえで実施しています。しかし、2年目の当該看護師ははそのようなことをしたことがないそうなのです。先輩からそのように教えられたことがないというのです。つまり、ここではそのような新人教育をしていなかったことになります。先輩もそのようなことを指導されてこなかったのです。

ここでの穴は

・「慣れない薬剤を取り扱う際に調べる。」という職場風土がない。もともとあまり危険な薬剤を投与することのない部署であり、危機感がない。

と1つ上げられます。これら少なくとも合計11個の穴がありました。それをすべて通り抜けてしまいました。

まず医師が点滴オーダー時に速度指示を入れていればヒヤリハットは起きませんでした。また2年目の担当者が薬剤情報を調べて、正しい速度で実施していれば、そもそもコミュニケーションエラーなどは関係なく、ヒヤリハットは起きなかったでしょう。

また夜勤担当が速度に違和感を感じ、以前の部署で取り扱っていた速度を貫くことができればヒヤリハットは防げたでしょう。

また医師が看護師を頼って任せているという風土もここにはあります。もし看護師が厳しく、医師へ速度指示を入れるように依頼していればこのようなことは起きなかったでしょう。

つまり職場風土はヒヤリハットに大きく影響があります。

ギスギスしていて、心理的圧迫が強いと平常心が保てず、周りに確認できずにミスを誘発します。

逆に今回のように緩い職場環境では、本来やるべきことをしていなくても咎められることがなく、知識の向上がなされず惰性で仕事を行うことにつながります。それがミスにつながります。

また女子が多い職場の難しさがあります。女子は「和を乱す。」ことへの恐怖感から、「言いたいことが言えない。」ことがよくあります。実際に夜勤担当が意見を言えなかったのはここに起因していると思われます。

部署には必ず教育担当いますが、たいていそこに長くいるスタッフが担当します。そうすると普段行っていることが当たり前になりすぎて、自部署の問題点に気づきにくくなります。逆に外から異動してきた場合、他部署との違いに気が付くことはあっても、長年の歴史の中で生まれたローカルルールを変えることは容易なことではありません。

ある勉強会に参加した時、講師が話していた言葉がとても心に残っています。講師は医師だったのですが、その医師が新病院に異動した時、もともといた医師になかなか受け入れてもらえず、なかなか改革が進まなかったそうなのです。その時の心境について

「改革は砂漠にオアシスを作るくらい難しい。砂漠に水を一滴注いでもすぐに蒸発してしまう。もう一滴注いでもやっぱり蒸発する。それでもあきらめずに水を一滴、また一滴と注ぎ続ける。あきらめずにずっと注ぎ続けなければならない。すると少しずつ、水が蒸発しにくくなり、土壌ができ、やっと草が生えてオアシスができる。それくらい時間がかかる。」と話していました。

また病院の難しさは、いろいろな職種が混在していて、改革するにはさまざまな職種と調整しなければならないことにあります。

この部署に関係する医師が「点滴の投与速度の指示を毎回入れること。」部署として「不慣れな薬剤の取り扱い時は薬剤情報を確認する。」ここを改善するには、1日2日でどうなるものではありません。特に医師の意識改革は診療部を巻き込むことになるため、困難を伴います。やはり、数年かけて改革するくらい本腰を入れる必要があります。

ここは本当に居心地の良い部署でした。残念なことにすぐに異動になり、この部署にいたのは短期間でした。すでにそこを離れてしまっていますが、果たして改革ができたのか気になるところです。

 

 

 

 

娘が外出先で走り回って困った話


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娘がもうすぐ2歳になる頃、ショッピングモールへ出掛けた時の話です。

その頃の娘は自由に歩き回るのが楽しくて仕方ない様子でした。いつも私と手を繋がずに1人で行きたいところに行こうとするためいつも目を離さないようにしていました。

その日、出掛けたのは初めての場所でした。着いた瞬間から、好奇心旺盛でいろいろな物を見たい様子でした。この辺は女の子ですね。

私は娘と手を繋いで歩いていました。目的のお店で買い物をしようと、一瞬繋いでいた手の力が緩んでしまいました。すると娘は走り出しました。私は急いで捕まえて抱きかかえました。すると「離して!」と足をバタつかせながら叫び出しました。お買い物しようと声をかけても、「いやあー。」と叫びます。そのお店での買い物は断念して、今度は娘の買い物をすることを告げると一瞬おとなしくなり、やっと手を繋ぐことが出来ました。しかしまた「はーなーしーてーーー。」と叫び出します。娘はなんとか私の手から逃れようと力を入れます。逃げられたら大変なので、抱っこをすると「助けてえーーー。」と大声を出します。その繰り返しでした。それを見た周りの人たちは笑いながら「助けてって、まるで誘拐しているみたいじゃないの。」とあきれていました。顔が似ているのでどう考えても親子なのですが、一歩間違えると本当に通報されそうな勢いでした。

しかし放置すれば、何をしでかすか分かりません。うちの子に何かあっても仕方ないのですが、商品を壊したり、人にぶつかったりすることも考えられます。万が一相手の方が怪我でもしたら大変です。

娘のお買い物中はご機嫌でお利口さんになりましたが、終わるとまた例のごとく「助けてえ!」と叫び出します。せっかく遠出したのですが疲れ果てて、早めに帰路につきました。

あの時、かなりのやんちゃぶりでしたが、周りの方たちはとても温かく「大変ね。」と言いながら、親子のバトルを見守って下さいました。

こんな風に暴れたのは、あとにも先にもこの時だけで、その後はお利口さんにお出掛けが出来るようになりました。

ただ、保育園の行き帰りはこのようなバトルが日常茶飯事でした。私の手を離して車道に走りだそうとする娘を大声で静止した時は、ドライバーの皆さんが大笑いしていましたし、保育園の先生の協力でなんとか帰りの支度を終えたことも何度もあります。この頃のことを娘に聞くと全く覚えてないそうです。もうすぐ2歳を迎える頃でしたから、第1次反抗期に入っていたのだと思います。 

第1次反抗期の幼児のことを魔の2歳児とも言いますので、今真っ只中の子どもを持つお母さんは大変だと思います。たまに街中で、お母さんが苦戦しているのを見かけると、懐かしさと同時に「大変だなあ。頑張って。」と思います。そして、ついつい「かわいいねえ」とかなんとか声をかけて、子どもの相手をしてしまいます。もちろんお母さんのタイプを見て、相手をして大丈夫な時に限りますが。

このような時期はいつかは通りすぎますし、懐かしいと思う時が来ます。しかしワンオペ育児だと、煮詰まってしまってどう対処していいか分からなくなると思います。そんな時でもお母さんが頑張って子どもに向き合っていれば、周りの方は温かく、声をかけてくれます。お母さんが困っていること、一生懸命対応していることを理解してくださいます。放置して何もしないのは論外ですが。

私は困った時は、保育園の先生に何でも相談していました。保育園に預けていて一番良かったのはこの点でした。

真っ只中のお母さんに強く言いたいことは、誰かに相談すること、抱え込まないことです。そして一時保育を利用するなど、お休みを取ってください。

どこかで魔の2歳児に手を焼いているお母さんを見たら、声をかけさせてもらいますね。

 

外食の時に子どもがおとなしくなる関わり


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先日、娘と外食をしました。うちの娘が蕎麦屋のカツ丼が食べたいとリクエストがあり、蕎麦屋に行きました。とんかつ専門店ではなく、蕎麦屋のつゆをベースに味付けされている蕎麦屋のカツ丼が彼女のこだわりポイントです。今日はそこでの出来事です。

隣のテーブルは2歳くらいの女の子とお母さんがいました。私たちがテーブルに座った直後から、女の子の奇声が店内に響き渡っていました。今度は床にしゃがみこみ、寝そべり、次いで店内を走り回ります。そして各テーブルを覗き込みます。しかし誰も相手にしません。当然私たちのテーブルにもやってきました。そしてうちの娘の顔を覗き込みましたが、うちの娘は他のテーブルの人たちと同様、相手にはしませんでした。その間一度もお母さんは子どもの様子を見ることもなく、黙々と座っていました。

私は「うちの子がこんな風に走り回ったことはなかったなあ。」と昔を振り返っていました。そして娘に「あんな風に外食中に徘徊したり、奇声を発したことはなかったね。お利口さんだったよね。」と伝えました。娘は「そうなんだ。でもね、さっきからお母さんの声が全然しないね。なんでかな。」と不思議そうにしていました。

まだ小さかった娘とこの子の違いが何か、なぜ娘が徘徊したり、奇声を発しなかったのかを考えてみました。

その親子は向かい合わせに座っていましたが、私は必ず隣に座らせていました。さらに私が通路側で娘を壁側にしていました。そうすると必然的に徘徊は出来ません。さらに使える時は、必ず幼児用の椅子を使っていました。

さらに、娘との会話を楽しんでいました。お子さまランチのおまけのおもちゃで一緒に遊んだり、小さい子用のかわいいランチョンマットの絵を見て、娘と二人でお話しを作ったこともありました。注文した料理のことや、今度来たら食べたいものなど、内容はいくらでもあります。

そう考えると、女の子は発達障害などで他動なのではなく、明らかにお母さんの放置が原因だと思われます。店内を徘徊しているだけならまだいいのですが、あの様子なら店の外に出ても、気が付かないかもしれないと思うくらい、お母さんは子どもに無関心でした。

この子に限らず、他の場所でも両親がスマホを触っていて、子どもが騒いでいる場面を見かけることはよくあります。騒いでいるこどもに対して「黙らせろ。」「そういうなら、そっちが携帯触ってないで、相手しろ。」と夫婦ゲンカをしているのを見たことがあります。発達障害などが原因の場合は、子どもの様子や親の様子を見ていれば分かります。そういうのがない場合は、親が明らかに放置しています。

2歳頃と言えば、言葉の発達に重要な時期です。親子の会話があるケースだと、お母さんへ全て「いやっ。」と返していて、思わず吹き出してしまったことがありました。

「いやっ。」でも何でもいいので親子で会話をすること、自分の横で奥側に座らせる。出来れば幼児用の椅子にする。これらでお利口さんにしてくれるかもしれません。困っていたら試してみてください。

ただし回転寿司の場合は子どもはレールから遠い席で自分の横です。間違えると大変なことになります。そこはご注意下さい。

もう一点、お母さんが病んでいるのなら仕方なかったかもしれません。

 

虎に翼 家族システム論の視点から


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家族システム理論では、家族を1つのシステムとみなし、その中に夫婦・親子・きょうだいといったサブシステムが存在します。

家族システムの特徴として

①家族は、複数の個人が相互に結びつき構成するシステムである。

②サブシステムの構造化に応じて、勢力の配分と階層ができる。

③家族内では個人の自立性に諸段階がある。

④家族内の相互作用・コミュニケーションには、独特の構造と過程がある。

⑤家族システムは時間の経過に伴って変化するが、その過程には諸段階がある。(岡堂1992)

と述べられています。

今回はこの家族システム論の視点から虎に翼を見ていきたいと思います。

猪爪家が1つの家族システムです。その中に夫婦サブシステム、親子サブシステム、兄弟サブシステムが混在しています。

今週のお話しでは寅子と花江や直明との間に溝が出来てしまっていました。私は寅子の母のはるが生きていたら、このような問題は起きなかったのではないかと思います。

はるは家族の潤滑油でした。つまりこの家族システムの中では重要な役割を担っていました。嫁の花江からも信頼されていました。はるが健在の頃は、はると寅子、はると花江、はると直明の親子サブシステムが正常に機能していました。今思うと兄弟サブシステムは少し弱い部分もあったと思います。今週のエピソードはそう思わせる内容だったからです。その分は、はるの存在を軸とした親子サブシステムによって補われていたと思われます。

寅子は、はるが健在な頃から仕事一筋でした。はるが、夫を亡くした寅子と優未を案じたかららそうするのが良いと判断したのでしょう。優未の養育もはるが親子サブシステムの一環として当然のこととして行っていました。

花江もはるとともに家事全般と優未の養育に携わってきました。それは花江とはるの親子サブシステムが良好だからこそ問題がなかったのでしょう。

しかしはるが他界しそれぞれとの親子サブシステムは消滅し、兄弟サブシステムとそれぞれの子どもとの親子サブシステムが残りました。

花江ははるの行ってきた家事一切を取り仕切ることになりました。今まで2人で行ってきたことを1人でしなければならないわけで、かなりの負担です。また優未の養育も今まで通り、仕事一筋の寅子に代わって行っていました。

ただ優未の立場からすれば、花江がいくら我が子同然に関わったとしても、寅子という本当の母がいるわけです。花江にしても寅子の存在があるわけで、我が子と100%同じに接することはできません。

直明は、はるがいなくなったことによる家族システムの変化に気が付いていました。

花江は、はるのいなくなった穴を埋めるべく、懸命になりすぎて、家族システムの変化に気が付く余裕はありませんでした。

優未は祖母を母親の代わりとして心を許してきましたが、忙しい伯母に負担をかけてはいけないと我慢していました。つまり優未も家族システムの変化に気が付いていました。それがテストの点数を改ざんするという行動に繋がりました。

寅子は今まで通り仕事一筋ですから、家族システムの変化に気がつくことが出来ませんでした。当時は、今以上に男社会だったでしょうし、その中で力を発揮することはは並大抵のことではなかったでしょう。彼女が家族システムの変化に気がつかなかったのはある意味仕方なかったかもしれません。

そうは言っても、直明と寅子の兄弟サブシステムが良好であれば、直明が寅子に何か助言をすることも出来たでしょうし、花江と寅子の兄弟サブシステムが機能していれば、早い段階で意志疎通が取れたかもしれません。そうすれば優未の問題にもっと早く気が付くことも出来たでしょう。

猪爪家の場合は、はるの存在が大きすぎたのです。親子サブシステムが強すぎて兄弟サブシステムが弱かったのです。だからバランスを崩してしまったのだと思うのです。

猪爪家に限らず、入院などいろいろな事情で家族の構成員に変化が生じれば、家族システムのバランスに影響が出ます。その結果、問題が出現することもよくあることです。

お互いに自分のことに精一杯になるのではなく、周りの状況を見極めて、変化に適応していくことが必要です。

しかし当事者になれば、そううまくはいかないかもしれません。特に日本人は「言わなくても察するべきである。気がつくことが良いこと。」という風潮があります。気が付かない相手に対して「気が付いて欲しい。察して欲しい。」と求めるのではなく、して欲しいことをアサーティブに伝えること、そしてどんな時でも、相手ではなく、自分がどう変化していくかに焦点をあてて、自分軸で生きることが大切だと思います。

 

子どもが学校へ行きたくない時の声かけ

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子どもから現実逃避したくて「明日学校に行きたくない。」と言われたらどのように返事をするのがいいのでしょうか?休み明けや翌日のテストなど現実逃避から、学校へ行きたくないと思うことは誰にでもあることでしょう。大人でも仕事に行きたくない時があると思います。

私は子どもの頃、どうしても学校に行きたくない時に「明日、風邪を引いて熱が出ないかな?」と薄着で過ごしてみたことがありました。しかし鉄のように頑丈な体はびくともせず、残念ながら学校に行くことなりました。そのようなことをしても私の体には通用しないことを悟り、その後は無駄な努力はしていません。

昔、なぜ風邪を引くような無駄な努力をしたのかと言えば、弱音を吐くことが出来なかったからです。「学校に行きたくない。」と言ったところで「行って当たり前。」とか「普段の勉強が足らないからだ。」とか「誰だって嫌でも行っているんだ。」と正論が返ってくるだけでした。よく正論では人は動かないと言われますが、本当にその通りだと思います。

ただどこかの親子のように「嫌なら学校に行かなければ良い。」と不登校を推奨するのは違うと思います。

うちの娘も「あー嫌だなあ。なんでテストなんかあるのかな。行きたくな~い。」と言うことがあります。テストだけではなく、何かしんどい行事の時も同様に「行きたくない。」と言い出します。そんな時「あー明日テストかあ。まあ行きたくないよね。明日学校が爆破されてたらテストなくなるねえ。空想の世界で爆破しておくわ。」と返答します。すると娘も「頼むよ。爆破しておいてね。」と言いつつ勉強しています。娘と「学校ほど、空想の世界で爆破されてるところってないよねえ。」と話しています。

7月に入り、そろそろ中高生の期末試験も終わり、夏休み前の短縮授業が始まる時期でしょうか。

学校の定期テストが終わると、入院患者の中高生、大学生が増えます。早めに入院して、しっかりリハビリを行って、新学期に万全の体調で登校するようにこの時期が選ばれます。

入院生活は何もすることがなく退屈です。コロナ禍の頃は友達のお見舞いもありません。勉強道具を持参されていますが、慣れない環境や手術後の痛みなど、それほど集中は出来ないようです。

ある時、部活の怪我で高校生の男の子が入院してきました。手術から1週間ほど経ち、容態が安定してきた頃、少し暇そうにしていました。私は「そろそろ入院に飽きてきた?」と聞きました。彼は頷きました。続いて「早く退院したいねえ。退院したら何をしたい?」と質問すると「友達とカラオケに行こうって話している。」とのこと。私は「やっぱり友達と遊ぶのが一番楽しいよね。友達に会いたいし、そろそろ学校へ行きたくなってきたんじゃない?テストの時は、明日学校が爆破されてないかなって思うけどねえ。」と話しました。彼は笑って首を縦に振りながら「学校へ行きたくなってきましたね。普段は爆破計画をやっはり頭で立てますねえ。みんな立てますよね。」と返答がありました。私は「そうそう、うちの娘も爆破してるわ。どこも一緒ね。」と会話が弾みました。彼はまもなく退院していきました。

私は弱音を吐くのは良いことだと思います。人が弱音を吐く時、物事を解決したいわけではなく、気持ちをわかって欲しいだけなのです。弱音を吐いて少し気持ちを楽にしたいわけです。そこに寄り添うことが大切だと思います。正論は時に厳しく聞こえますし、気持ちに寄り添っていません。正論がアドバイスに聞こえる時もあるでしょう。正論と同様にアドバイスをする時も注意が必要です。ただ寄り添って欲しいだけの時に、求められていないアドバイスをすると、こじれるだけです。アドバイスや正論が時には人間関係を崩すこともあります。気持ちに寄り添って、相手が「わかってもらえた。」と心から思えると弱音を吐きながらも前進出来るようです。